1985年


スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 上野善
コーチ 宮澤洋一
コーチ 柿沼光信
コーチ 米本篤弘
チームドクター 渡辺真純
学生スタッフ 主将 長谷川博俊
副将 成田昌弘
副将 渡辺宏治
主務 澤藤誠
春のオープン戦 結果 対戦校
5月26日 ○6-0 東海医
6月2日 ●0-28 鶴見歯
6月16日 ○14-2 慈恵医科
公式戦戦歴 3勝 2部優勝1部昇格

2部プレーオフ勝利 ○22-6 対帝京医

入れ替え戦勝利 ○14-0 対北里大医

東海医 慶應医 日歯大 神歯大
東海医 ●6-20 △0-0 ○14-7
慶應医 ○20-6 ○20-0 ○20-0
日歯大 △0-0 ●0-20 ○30-0
神歯大 ●7-14 ●0-20 ●0-30
昭和60年4月
予科1が3人入部し(淡谷、本多、渡辺)、チーム全体では16人となった。当時QBは主将の長谷川先生で、予科1には彼の投げるパスがとても速く感じたという。
昭和60年5月
アメフト部の第2回目のダンパが、ソグノAにて行われた。オープン戦は3試合行われ、2勝1敗に終わった。この1敗は、対鶴見戦で、当時の鶴見は全盛であり、オフェンスラインがシフトしただけでもの凄い威圧感があったという。
昭和60年8月
長野県蓼科で10日間の合宿を行う。中日には、午前中にマネージャーを含めてソフトボール大会をした。また、宮沢氏と柿沼氏がオンスーツになって皆と当たった。白いグロープをしてすごい迫力だったという。コールチヤージでは柿沼氏が一番速かったので、皆を唖然とさせた。そして、丸田氏、米本氏が初めていらしたのは、この合宿だった。最終日の飲み会には、予科1本多のあごが突然はずれ、長谷川先生に病院に連れていってもらうという一幕もあった。
昭和60年9月
山中湖にて電通とのスクリメージを行う。負けこそしたが、なかなかいい試合ができた。またオープン戦が、城西(歯)との間に行われ、(現在の明海大)当時一部のこのチームを破り、1部昇格へとチームは盛り上がった。
昭和60年10月
第1戦は、日歯大を大雨の中、破る。
第2戦は、神歯大との対戦となったが、審判の不手際により試合開始が遅れ、4時キックオフとなった。予想以上に相手の当たりは強く、接戦となった。後半は暗闇の中の試合となり、キックオフで敵の全員がボールを隠しもって走り、誰がキャリアーか分からずキッカーの荻野先生がやっと止めたプレーもあった。試合後、トリカゴの照明が暗いために勝てたのかも、という笑いばなしになった。
続く東海(医)を破り、2部優勝決定戦へと駒を進めた。ここで帝京(医)を倒し、さあ次は1部2部入れ替え戦である。
当時は、現在と違い、入れ替え戦があったため、1部へと上がるのもなみ大低ではなかったように思われる。この試合は北里大医学部との対戦であったが、これを破り、1部昇格がこのとき実現されたのだった。