1987年


スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 米本篤弘
コーチ 宮澤洋一
コーチ 上野善
コーチ 丸田亨
コーチ 柿沼光信
チームドクター 渡辺真純
学生スタッフ 主将 伊藤努
副将 小山田吉孝
副将 渡辺宏治
主務 谷戸祥之
春のオープン戦
5/31 0-22 日大歯
6/7 22-6 神奈川歯
6/14 16-8 慈恵医科
6/21 14-8 獨協医
公式戦戦歴 3勝2敗 1部三位
埼玉医 慶應医 日大歯 鶴見歯 聖マリ 獨協医
埼玉医 ○30-0 ○30-0 ○34-0 ○38-6 ○58-6
慶應医 ●0-30 ●0-8 ○20-16 ○22-0
日大歯 ●0-30 ○8-0 ○8-6 ○16-0 ○36-0
鶴見歯 ●0-34 ●16-20 ●6-8 ○20-14
聖マリ ●6-38 ●0-16 ○6-8
獨協医 ●6-58 ●0-22 ●0-22 ●14-20 ○8-6
昭和62年4月
この年の新入部員は、大山学、小山、自石、松川、横山の5名であった。入部第1号は白石で、残りの者は、飲み会に行って訳の分からぬままに入部を決めた。また小川君、佐藤君、高尾君、仁ノ平君、前田君もマネージャーを志願してくれれ
昭和62年5月
第4回目のダンパが島崎主任のもとで、六本木のReve Japanesqueにて催される。(このDiscoは後になってつぶれ、現在BioというDiscoになっている。)
昭和62年5月,6月
オープン戦が4試合行われる。予科1初出場は大山(学)で、これがなんと第1試合の…Goal ine defenseであった。この試合は対日大歯学部戦で、大敗を喫した。
昭和62年8月
長野県蓼科高原にて、合宿を行う。この年は傷病者が多く、病人部屋と称する部屋も急設された。特に小山は、貝の缶詰にあたったためか42℃の高熱を発し、生死の境をさまよっていたということである。
昭和62年9月/・10月
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当時の埼玉医大は、医科歯科リーグ唯一SEが存在するチームで、そのパス攻撃はとても強力だった。残る聖マリ戦に勝ち、この年は2勝2敗の3位に終わった。
昭和62年11月
納会が行われる。MVPは、該当者無し。新人賞には急造センターになって苦境を救った大山(学)が選ばれた。