1988年
1987-1988年総集編動画

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1988年
スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 米本篤弘
助監督 丸田亨
コーチ 宮澤洋一
コーチ 上野善
コーチ 柿沼光信
チームドクター 渡辺真純
学生スタッフ 主将 安井信隆
副将 小山田和弘
副将 諏訪達志
主務 大山泰生
春のオープン戦 スコア 対戦校
5/22 ●0-2 埼玉医
5/29 ○22-21 関東学院
6/5 ○16-6 慈恵医
6/19 ●16-36 日大歯
公式戦戦歴 4勝1敗 一部2位
埼玉医 日大歯 慶應医 鶴見歯 獨協医 北里医
埼玉医 ○14-6 ○14-16 ○14-12 ○18-12 ○20-6
日大歯 ●6-14 ●22-24 ○14-0 ○12-0 ○30-7
慶應医 ●14-16 ○24-22 ○30-0 ○22-3 ○16-0
鶴見歯 ●12-14 ●0-14 ●0-30 ●20-22 ○22-8
獨協医 ●12-18 ●0-12 ●6-22 ○22-20 ○18-14
北里医 ●6-20 ●2-30 ●0-16 ●8-22 ●14-18
昭和63年4月
新一年生として山田、河村、土橋、若林、片山真、片山正輝の6名が入部。何を隠そうこのときの入部第1号は山田であった。しかし、山田、片山(真)は即退部。片山(正)は一年間の休部となり、予科1は3名になってしまった。なお片山(真)は現在、医学部管弦楽団で活躍しているという。
昭和63年4月24目現ヘツドコーチの小布施均氏が特別コーチとして、この日我がチームの練習に初参加なされた。小布施氏は体育会OBであり、塾高フットボール部監督をなさっていたためか、その理論的た御指導は非常に説得力のあるものだった。
昭和63年5月
ダンスパーテイーをムーンチヤイルドで行い、好評を博する。
昭和63年5月・6月
オープン戦が4試合行われ2勝2敗に終わる。また看護短大1年の市川君がマネージャーを志願してくれた。これでマネージャーは7名となった。
昭和63年7月
予科2の小山が惜しまれつつ退部する。(のち復帰)
昭和63年8月14日-20日
長野県蓼科高原にて夏期合宿を行う。連日雨天続きであったが、皆、歯を食いしばって頑張った。最終日には慈恵医大とのスクリメージも行われた。また、体育会OBである河本雅文氏が参加してくださり、ラインを中心に御指導下さった。マネージャーの小川君、佐藤君、鈴木君、高尾君、仁ノ平君、前田君は、連日夜遅くまで部員の健康管理、洗濯その他で我々をサポートしてくれた。感謝したい。またマネージャーの下着盗難件が発生するも、現在迷宮入りの様相を呈している。
昭和63年10月,11月
公式戦第1戦が鶴見大歯学部との間に行われ、大量点差で快勝し、優勝へのムードが高まった。ちょうどこの頃、現在我等部員の父親的存在である、体育会OBの野村修一氏が練習にいらして御指導下さった。第2戦の日大歯学部戦を激闘の末、総力戦でものにする。しかし、その代償も大きかった。主将HB/S安井TE/DE本多が膝を負傷したのだった。続く、事実上決勝戦である対埼玉医大戦は、16-14で暗敗し優勝への望みは断たれ、最終的には4勝1敗で準優勝に終わった。また新マネージャーに、看護短大1年の渡辺佳子君が志願してくれた。
昭和63年11月
長い間チームを引っ張ってきた、久保田、主将安井、諏訪、小山田(和)、大山(泰)が引退。また米本篤弘監督が辞任。新監督には、現役でも活躍したOBの渡辺真純先生、ヘツドコーチには小布施均氏が就任した。来年度主将は本多、副主将渡辺真俊、主務尾崎の新体制も発表された。マネージャーは小川君、佐藤君、鈴木君、高尾君、仁ノ平君、前田君が引退。長い間本当に有難うございました。
なお本年度MVPは該当者無し。MIPにリーグのリーディングラッシャーとなったFB長沼、新人賞に安井に代わってHBに入った河村が、それぞれ受賞した。