1991年


スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 渡辺真純
コーチ 宮澤洋一
コーチ 野村修一
コーチ 米本篤弘
コーチ 丸田亨
学生スタッフ 主将 白石好
副将 横山剛義
副将 小山政史
主務 松川英彦
春のオープン戦
スコア 対戦校
5/19 ●14-22 北里医
6/2 ●0-40 鶴見歯
公式戦戦歴 0勝1敗2分 一部Aブロック3位
鶴見歯 北里医 慶応医 獨協医
鶴見歯 ○12-6 ○6-0 ○18-0
北里医 △6-6 ○50-0
慶応医 △16-16
獨協医
<勧誘>
76回生の中から医学部アメフト部を選択したものは9名。最後まで入部するかしないかで迷ったのは堀である。「まとめ買いで割引の出来る5月某日までに入部を決めないと高いお金を払ってショルダーを買わなければならない」という当時としては斬新な、今では古典的な文句によって入部した。大山学さんの話術が際だっていた。
<雨>
とにかく雨が多かった。当時の鳥かごの土は砂利がメインで、ザラザラしていた(立科のグラウンドみたいな土質)。粘土質ではなかったので泥がこびりつくことは少なかったが、水はけの悪いグラウンドにはほとんど常に水たまりが存在していた。水たまりが秋の寒さに拍車をかける。練習に参加できず外で見ている時間は本当に寒かった。次の練習日になってもシューズは乾いておらず、冷たいシューズに足を入れる瞬間は本当に嫌だった。
<春の大敗>
鶴見に0-40で負けた。大塚さんの涙が印象的だった。鶴見のオプションを止めることが夏の課題になったように思う。予科1としてはショックだった。「うちってこんなに弱いの?」と。「二連覇したんじゃないの?」と。
<夏>
某予科1、合宿に来ず。顔が四角く焼けている同期を見て、「合宿に行かなくて正解だった」とは思わなかった。合宿あけの練習で、同期予科1が上級生とガシガシ当たっているのを見てびっくりした。
厳しい練習の中、横山さんネタで苦しさが半減したに違いない。
<秋、勝てず>
Power Iで公式戦に挑む。怪我人が本当に多かった。
当時はフィールドゴールユニットが無かったので、残り何ヤードであろうとプレイを選択していた。台風の中で行われた北里戦は6対6のままもつれ込み、残り時間数秒でゴールまで1〜2ヤードという最後にして最大のチャンスを得た。我がチームの選んだ選択肢はランプレイ。蓋を開けるとキャリアはなんと横山さん。試合の後、オフェンスレギュラーが騒然としている理由は後になってわかった。
鶴見戦は記憶がない。春の0-40を0-6位まで縮めたと思う。リベンジは翌年に持ち込み。
獨協戦は乾いたグラウンドで戦えた。前半終わって0-16。後半脅威の巻き返しをし、16-16。ハンドオフが出た。
当時はプレイオフがあって、反対ブロックの同順位のチームとの試合があった。相手は東邦。これも負けた。
負けた試合の後は、OBの話が長い。1回も勝てなかったので、試合の後は本当に長かった。荻野さんの話っぷりが強烈で、その印象をぬぐい去るのに随分時間がかかった。
<1991年度の収穫>
公式戦、オープン戦あわせて1勝も出来なかったことが、勝利への渇望となり翌年につながったこと。翌年の初戦はチーム歴代最高得点である74得点。
<1991年度を終えるに当たって惜しまれたこと>
横山さんの事実上の引退
<MVPと新人賞>
全然記憶にない。