1992年


1992年
スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 澤藤誠
助監督 荻野雅宏
ヘッドコーチ 米本篤弘
コーチ 宮澤洋一
コーチ 野村修一
コーチ 柿沼光信
コーチ 丸田亨
チームドクター 長谷川博俊
学生スタッフ 主将 河村朗夫
副将 土橋隆俊
副将 片山正輝
副将 山田素行
主務 三田真史
春のオープン戦
スコア 対戦校
5/31 ●8-27 慈恵医
6/7 ○14-10 東大医
6/21 ○8-0 明海歯
公式戦戦歴 2勝1敗1分け 一部Bブロック3位
慈恵医 明海歯 慶応医 鶴見歯 聖マリ
慈恵医 ○34-6 △19-19 ○26-0 ○56-6
明海歯 ○24-12 ○35-16 ○48-0
慶応医 △19-19 ●12-24 ○21-0 ○74-0
鶴見歯 ○29-14
聖マリ
入部
1992年4月某日,クラブ説明会,飲み会が行われた.‘絶対に入部宣言はするなよ.’と言っていた落合君。飲み会始まって30分後に早くも‘落合は入りまーーす.’と言ったのを皮切りに,たてつづけにレオン以外9人入部してしまった.この一晩でアメフト部20年の歴史の中で最も多いぼくら77回生(10人,安さんいれると11人)の大学生活は決まった.

ダンパ
ぼくらが予科の頃は,今では懐かしいジュリアナブームで,ディスコ,クラブが最高に盛り上がっていた頃であった.当然,ダンパも最高潮.そんな中,アメフト史上というか,医学部史上最大(もしかしたら日本最大)のダンパをやったのが,ぼくらが予科2の時のダンパであった.今はなき,芝浦のGOLDで約1000人,純利益220万円の売り上げを上げた.その時のダンパ主任が清水であった.彼は一人で400枚売りまくり,その月の電話代だけでも10万円を超えたとか,とにかく恐ろしいほどに燃えていた.あの口のうまさには圧巻で,よく刺されなかったものである.彼はそのあと個人的にもダンパを主催し,かなり儲けていたらしい.

練習
ぼくらが予科1の頃の幹部は主将河村さんの年であった.練習はとても厳しかった.無限に繰り返されたコールチャージとかグランドの隅でゲロ吐いてた落合の姿などを思い出す.厳しかったけど,とても緊張感のある練習だった.練習が終わるのがだいたい9時頃で,ボール磨きとかグランド整備とかしてると信濃町の食べ物屋は大体閉まっていて,よく代々木の吉野屋に行った.10人でカウンターに並ぶと,ほとんど店がいっぱいになった.

試合
秋のシーズン,東大グランドで行われた明海戦.あれよあれよという間に負けてしまった.運に見放されたというか,ぼくらの目には,圧倒的に慶應のほうが強く映った.最終戦の慈恵戦.20点差以上つければ優勝という試合だった.前半は2TD差で折り返した.千葉マリンへ行くんだ.みんなそう思っていた.しかし結果は同点だった.慈恵が千葉マリンへ行き,日大歯に勝利し優勝した年だった.ぼくらの目には,慶應は慈恵にも実力では負けていないし,一番強いチームであったし,だからこそ悔しかった.次の年には絶対に優勝したかった.