1994年


スタッフ 部長 戸谷重雄
監督 澤藤誠
助監督 荻野雅宏
助監督 諏訪達志
ヘッドコーチ 仲里朝周
コーチ 米本篤弘
コーチ 野村修一
チームドクター 長谷川博俊
学生スタッフ 主将 古田晃
副将 山田深
副将 村山剛也
主務 井口豊崇
春のオープン戦 スコア 対戦校
5/8 ○13-6 東邦医
5/15 ○28-0 東海医
5/29 ●7-10 鶴見歯
6/12 ○22-0 日大歯
公式戦戦歴
3勝1分一部Aブロック優勝するも抽選負け
日大歯 慶応医 東邦医 慈恵医 東海医
日大歯 △14-14 ○14-7 ○13-12 ○12-0
慶応医 △14-14 ○28-0 ○18-6 ○64-7
東邦医 ○16-13 ○53-6
慈恵医 ○32-8
東海医
毎年恒例の予科1を奪い合うような歓誘の結果、我々79回生から入部したのは、秋瀬、小野、斉藤、清水の4人であった。皆QB志望で、「QBやってくれよ」という勧誘を本気にしたピュアなやつらである。小野に至っては、QBもできるようにと背番号19のユニフォームを作ってしまった。完全に真逆のポジションになることをうすうす感じつつも。今その19はどこでどんなふうに眠っているのだろう。

ちなみに、当時アメフト部は40人を超える大きな部で、毎年7人以上は入っていたので、4人というのは非常に少なかった。さらに秋瀬は、高校時代に負った膝の半月板損傷のために一瞬でやめてしまったのですぐに3人になり、そして清水も予科1の終わりにはやめることになるので最終的には2人になったのである。90%アメフトに入ります、といいながらラグビー部に入ってしまった木村が学3で転部してきたので、本当に最終的には3人なのだが、思えば、現在の人数不足は我々の学年から始まっていたのである。

ところで、当時我が部は人数が多いだけではなくタレントぞろいで本当に強かった。前年度は医科歯科リーグ総合優勝を果たしており、どのポジションにもすごいプレイヤーがたくさんいた。春の全塾ユニコーンズとの合同練習では、当時一部で活躍していた全塾の1本目とは言わなくとも1.5本目ぐらいを相手に互角の勝負をし、医科歯科の他チームとの練習試合でも圧倒的な強さを見せていた。その分、練習では、先輩が強すぎてブルーになることが多かった。

夏合宿も相当えぐかった記憶がある。鮮明におぼえているのは、先輩たちがスクリメージをやっている間、予科1は別メニューで学4とスクウェアをしていたのだが、とりあえず当たれと言われて、当時学4の関さんにタックルする度に、脳がゆれ、完全に違うところにいっちゃってたことである。また、ストレッチのあとの首の筋トレで謙二さんと組むと、後頭部が地面についちゃってるのに、さらに押され続け、「これ、意味あるかなあ」と思いながら、なすがままになっていたことを覚えている。

だが、私は部活と言うものに入って、一つのスポーツを体力の限界までやったという経験が初めてであったので、合宿が終わったあとの爽快感は今も忘れられない。基本的に無表情なため、写真を撮っても笑うことはめったにないのだが、その合宿最終日の写真は本当にいい顔をしている。最終日といえば、打ち上げで芸をやらされたのだが、当時主将の古田さんのものまねをやったのを覚えている。

さて、秋のシーズンを迎え、我がチームは順当に勝ち星をあげていった。初戦では東海医を64−7という大差でくだし、うちのリーグ優勝は固いと誰もが思った。しかし最終戦の日大歯戦でまさかの引き分けを喫し、抽選で敗れ、優勝決定戦の切符を逃してしまった。なぜあんなに強かったうちが引き分けたのか、当時の私の記憶ではわからないのだが、先輩たちは相当悔しかったに違いない。

私は予科1の時、偉大な先輩がたくさんいて、またモチベーションの高い我がチームにいることに誇りを持っていた。紆余曲折はあったが、最終的に納得のいく選手生活を送れたのも、王者慶應の姿をこの目で見ており、そのプライドを失いたくない、また、後輩たちが誇りを持てるようなチームであり続けたいという、純粋な思いがあったおかげかもしれない。人数不足に悩む現在の選手達も、ユニコーンズのプライドを失わずに、魂のこもったアメフトを続けてほしい。