1997年


1997年
スタッフ 部長 小林紘一
監督 小山田和弘
助監督 大山泰生
助監督 久保多英司
助監督 島崎賢仁
チームドクター 長谷川博俊
学生スタッフ 主将 吉岡正豊
副将 小野正徳
副将 斎藤毅
主務 畔柳祐二
春のオープン戦 スコア 対戦校
6/14 ○6-0 明海歯
公式戦戦歴 4勝 一部Aブロック優勝
プレーオフ ●15-19 松戸歯学部に敗退
東大医 慶応医 日大歯 東京医科 明海医
東大医 ●26-41 ○44-13 ○27-14 ●0-19
慶応医 ○41-26 ○34-13 ○34-7 ○31-2
日大歯 ●19-39 ●14-26
東京医科 ●20-46
明海医
1997年度は伊東・小田・鎌田・根本の4人の予科1が入部した。勧誘の際には今は無き「鳥カゴ」で、タッチフットが行われ、ボールに触れさせてもらったものだ。しかもこのころの私(根本)たちには「ライン」という存在を知らず、スキルの練習に参加して、「なんて楽しいんだ」などと思っていた。しかし鳥カゴの隅で黙々と練習を続けていたラインユニットの魔の手が鎌田以外の3人にしのびよっているとは知る由もなかった。

この年のオープン戦は、明海歯学部、日本大学歯学部、日本大学松戸歯学部と3試合行われた。新歓の日に行われた明海歯との試合では相手が2部上がりなのにも関わらず、3本-1本で負けてしまった。
強い強いときいて入部した、僕らはとてもオドロイたが、それ以上に試合中にケガ人が多数出たことには本当にビビリ、人生の選択を間違ったかもしれないと思った。日大歯には、2本-1本で勝ったのだが、松戸歯には1本-7本で、惨敗してしまった。この日は前期納会の日であったが、幹部である学3を中心に「飲み」はかなりエグくて、飯田橋の「天狗」の看板を破壊して警察が来たのにはおどろいた。なお、当時学1の秋田さんはコースをミスったりファンブルしたりして、よく速水さんに蹴られいて、彼がその後2年連続のMVPを手にするとは、誰も思っていなかった。
そのあとにオフに入る予定であったが、松戸戦の惨敗のため、「オフ」は「オフスポーツ」の略という伝統がこの年出来上がり、筋トレ・走りは行われた。この頃、僕たち予科1の間にも勧誘はウソばかりだということがわかった。
ダンパなどもあり、7月末から夏練がスタートした。

7・8月は、アメフトをしていた記憶しかない。
勧誘のパンフレットには8月には合宿のみが書かれていて、夏には実家にかえって免許を取ろうと思っていた僕は学2が終了する今の今まで免許が取れていないのだ。恐るべしアメフト部。
この年の合宿は、はじめて2部に分かれ、塾高ユニコーンズ、玉川大学とスクリメージが行われた。我々1年生も出場し、何をしてもおこられないという状況を楽しんだものだ。とてもなつかしい。

9月にはいると、タイミングなどの実戦練習が増えて、我々予科1も入れてもらえるようになった。なお、シーズン直前に慈恵医とのスクリメージが行われた。この日は大雨で、私は雨が降ってもアメフトをやる事に初めて気がついた。

シーズンにはいると、東医・日大歯・明海歯・東京大医と撃破し、優勝決定戦にコマを進めた。Veer体型からの outside diveが好調で、主将RB片面の吉岡さんはリーディングラッシャーになるのでは?との期待も高まるほどの爆走であった。(実際は3位だった。吉岡さんからはもしリーディングラッシャーになったらOL全員に「雛寿司」をおごると言っていたので、非常に残念だった。)
なお、シーズン中に副将の小野さんがバイクで事故って練習を休むというハプニングがあったが、彼は五体満足で次の練習から復帰し、しかも彼の壊れたはずのバイクをみたものはいない。

優勝決定戦は春に惨敗を喫した松戸歯と大井第2球技場で行われた。試合はランを完封されてしまい、後半パスで追い上げるも、15-19で惜敗し、1993年以来の優勝はならなかった。
この年の表彰選手はMVP速水聡・新人賞根本・早川賞元神健太であった。

編者注この年より故早川初代監督を記念して、優勝決定戦での最優秀選手に与えられる「早川賞」が新設された。残念ながら、この元神以降早川賞は未だ授与されることはない。
この年の納会は、早川夫人にもご出席いただき涙・涙の納会でした。